一 儒学と幼学綱要
現在の道徳教育に深い影響を与えているのが『幼学綱要』だ。道徳教育というと「学校での教育」を頭に思い浮かべるだろうが,学校以外でおこなわれる道徳教育が圧倒的に多いだろう。両親から「人間なら〜しなければ」と説かれる,近所のおじさんから「男なら〜だろ」と励まされるというように,小さな時から自然に空気を吸い込むように社会の中にある道徳観を吸い込んで子どもは育っていく。我々のまわりにある,我々を包み込んでいる空気のような道徳観は,マスコミによってつくられることもあるし,よく売れている本や雑誌によってつくられることもあるだろうし,最近では2チャンネルなどのネットでの議論によって形成される場合もある。しかし,それらの空気のような道徳観の根っこにあるものがある。子どもを諭す両親や,口うるさい近所のおじさん,マスコミでしたり顔に話すコメンテーター,ネットで自らの論を展開する人達へ影響を与えているものがあるのだ。
それが『幼学綱要』だ。
『幼学綱要』は全七巻からなる本だ。筆者は,元田永孚。
「国民道徳」から儒教的色合いを除きたいと頑張った森有礼とは対極をなす人物だ。
元田は,「儒教道徳」こそが,国民道徳だと信じていた。そして,皇室への崇敬を国民に求めた。元田は,「修身」=「治国」として,修身と名を借りた儒教道徳の国民への広まりを重視した人物である。
その元田が編修している『幼学綱要』はまさに儒学そのものだ。
教育勅語は,『幼学綱要』がもとになっている。『幼学綱要』は,徳目を20にまとめている。全七巻のすべての巻頭にこの20の項目が載っている。「孝行・忠節・和順・友愛・信義・勤学・立志・誠実・仁慈・礼」がその徳目だ。
明治12(1879)年,学校生徒の学力衰退を憂慮した天皇の意向をうけ,日本独自の教育に関する文書『教学大旨』を提出。日本における教学の要を論じた前段と,小学校における教育の実情について留意すべき二条項を述べた後段から構成され,終始儒学に基づいた仁義忠孝の精神を力説した。
明治14(1881)年にはこの『教学大旨』をもとに『幼学綱要』が編纂され,さらに明治23(1890)年の『教育勅語』発布へと展開していくことになる。教育勅語は,敗戦の昭和20年まで日本人の道徳観形成していくわけだが,その大本は『幼学網要』であり,『幼学網要』の大本は元田の学んだ和製儒学(主に水戸学をもとにしたもの)なのである。
儒学
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幼学綱要
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現在の日本人の道徳観
この『幼学綱要』の教科が日本人に与えた影響が大きいために,日本人の道徳観は,儒学的道徳観が多くを占めている。
しかし,日本の長い歴史のおいては,儒学の影響を受けている期間は長くはない。儒学の思想は古くから日本に入ってきてはいたが,多大な影響を与えるようになったのは江戸時代だ。江戸幕府は「修身・斉家・治国平天下」,すなわち「身をおさめ,家を斉(ととの)え国を治めれば,自ずと天下は平らかになる(世の中平和になる)」という朱子学の定理にのっとって国を運営した。家臣が主君に忠義を尽くす「忠」,武士道にのっとり主人の仇を討つ「義」などは,みな「和風儒学」のキーワードだ。そして,日本人全部の共通する道徳観として根付くのは明治以降のことなのだ。
日本人に,「和風儒学」の精神を浸透させるのに力を発揮したのが『幼学綱要』である。
二 幼学綱要の徳目
幼学綱要には,20の徳目が収録されている。規範意識が低下した現在,国民全員が精いっぱい生きていた明治時代の規範基準「幼学綱要」を見直し,指針とするときである,
@ 孝行〔親の恩に感謝する〕
A 忠節〔国に忠節をつくす〕
B 和順〔夫婦はむつまじく〕
C 友愛〔兄弟姉妹は仲よく〕
D 信義〔友人は助けあう 〕
E 勉学〔まじめに勉強する〕
F 立志〔決心を固める 〕
G 誠実〔何事もまじめに 〕
H 仁義〔人を助ける心 〕
I 礼譲〔礼儀正しく 〕
J 倹素〔無駄遣いをしない〕
K 忍耐〔耐え忍ぶこと 〕
L 貞節〔節操を守ること 〕
M 廉潔〔正しく潔白なこと〕
N 敏智〔機敏に知恵を出す〕
O 剛勇〔強い勇気を持つ 〕
P 公平〔えこひいきしない〕
Q 度量〔こせこせしない 〕
R 誠断〔正しく判断する 〕
S 勉職〔職場に専念する 〕
現代社会で必要であるにも関わらず希薄になった徳目がたくさんある。TOSS道徳は,現代版幼学綱要の提案を検討中である。
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